レコード(今の人はヴァイナルと呼ぶらしい!おしゃれさん!)が絶賛復活中らしいよ。
単なるオヤジの懐古趣味ということではない、現代の若い人も含めたムーブメント。アナログ記録であるレコードには音楽がデジタル化する過程で切り捨てられた音が含まれておりそれが深い音楽体験につながる、とか、デジタルの音はデジタル臭い(?)なんてこともCDが出始めた頃に言われていた気がするが、今のレコード復活はそんなオーディオマニアの垂れる能書きとは関係なさそう。かと言って音楽を聴くだけなら今や安いサブスクでもMP3レベルの音質は保証されているし、もうちょっとお金を出せばCD品質を大きく上回るデジタルデータを入手したりストリーミングで聴ける。スマホ、音楽プレーヤー、スマートスピーカーと音の出口もいくつもある。それでも一部からとは言え重鈍なレコードがもてはやされる理由。ついでにカセットテープも流行ってるってよ。
どーなってるんだろ。
私の場合、昨年秋の引っ越しに伴って大量に掘り起こされたのはレコードよりもカセットテープ。レコード(やCD)は当時学生だった私には経済負荷が大きく、必然的にレコードを借りて落とす(カセットテープに録音する)という流れだった。カセットテープの録音再生装置が必要なのだが、同時に出土したカセットデッキはリールが動かず一旦廃棄寸前までいったものの、まあ引っ越しが落ち着いたら修理に出すか、と延命したもの。
最近になって電源を入れてみたらリールがまわっている。暖かくなってグリースが緩んだからか、引っ越しの振動が固着した部分をはがしたのか。聴いてみたところ機械的にはおそらく問題なく、音質も良好。もちろんデジタルデータの明瞭さには遠く及ばないし、レコードのような味わいもないが、音楽ってのはそれを聴いていた頃の記憶とともにあるということを再認識した。
でもこれはレコード、カセットテープが「新しい」リスナーに受け入れられている理由にはならない。
ひとまとまりの曲を並んだ順番で聴き、スキップはほとんどできない。でかい物理メディア。レコードを丁寧にターンテーブルに置き針を静かに落とすといった、曲を聴くためだけに必要な一連の所作。どれもかつてデメリットとしてあんなに排除しようとした結果として、今のランダムアクセス、データだけでメディア不要、場所を問わず1クリックで聴ける音楽が生み出されたはずなのに。そんな面倒くさいメディアを、今受け入れる人が増えている。音楽やそれを聴く行為を合理性だけで判断しない人がまだたくさんいるという証拠なのか。
キャンプの夜に揺らぐ火の前でぼーっとするのと、円盤の回転を目で追いながら音楽を聴くのは同根かも知れない。
オーディオのテクノロジーもこの30年で飛躍的に進歩した、ように見えていたけれど、それは進歩じゃなくて便利さとか経済的利益が優先される方向に曲がって枝を伸ばしたひこばえのようなものに思えてきた。重くて鈍い、マニアのためだけのオーディオでよかったとは思わないが、ひこばえはあっという間に古い幹の丈を追い越してしまった。急速に育ったひこばえが幹から伸びる枝に咲いていた技術の百花を枯らしてしまった。テンポの速い世の中に遅れをとり始めた自分を擁護しているとは思いたくないけれど、レコードの復活は急速な変化にちょっとだけ待ったをかけたい私の心情にマッチしている。
古い幹にもほつほつと見慣れた花が残っており、それを愛でる人がいた。